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明る~いナショナ~ル♪

最近、小生は北関東にさる用で出かけましたが、お腹を痛めてしまいました。。。
現在はぶらぶら病か?と思われますほどでして、再び療養の日々。
紅顔の若手医師だったころは、連日透視室で医療用放射線の方はかなり鍛えたもんですが(??)
どなたかのように◯◯◯◯石でも抱きしめて寝れば良いのでしょうが(かんらん石ではありませんぞ、笑)甲斐性もなく、、、と侘び寂びモードになってまいりました。

しかし、温泉愛好家にとって明るい話題。日本は、大いに使えそうな場所満載ですな。乞うご期待!!!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110620-00000590-san-bus_all

パナ、世界初の「発電チューブ」 熱湯、蒸気で発電
産経新聞 6月20日(月)18時54分配信
 パナソニックは20日、熱湯や蒸気を流すだけで発電できる世界初の「熱発電チューブ」を開発したと発表した。普及が期待される地熱発電のほか、温泉水や工場、ゴミ焼却施設などの廃熱を使って発電することも可能で、2018年の実用化を目指すとしている。

 熱エネルギーを電力に変える「熱電変換技術」を利用した。チューブは、熱が流れにくい合金(熱電変換材料)と熱が流れやすい金属を交互に接合して形成。チューブの周囲に冷水を満たした状態で、チューブ内に熱湯や高温の蒸気を流すことで温度差を生じさせて発電する仕組みだ。

 従来型の熱電変換素子と比べて4倍の発電量を実現しており、試作した長さ10センチのチューブでは約1・3ワット時の発電に成功したという。

 また、配管そのもので発電するため、熱を取り込む際のロスも少なく、複雑な配線も不要となるのもメリットだ。

 配管に熱湯や高温の蒸気を流し続ければ、太陽光発電システムと同水準のエネルギー効率で24時間発電することが可能。チューブを長くすれば、発電量も増加する仕組みだ。

 例えば温泉施設では、源泉から適温に水温を下げる部分にこのチューブを使い、給湯と発電を両立するなどの利用法にも期待が高まる。パナソニックでは3年計画で、生産プロセスの確立や温泉地での実証試験などを続け、早期の実用化を目指す方針だ。
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笑えますな・・・

tupu.jpg

思わず、写真を見て、『老いらくの・・(爆笑)』と出かかりましたが、杜甫さんはウィキペディアによると58歳の時に牛肉を食べ過ぎて亡くなられたので、おじいさんというわけでも無さそうですな。

小生も、先日尊敬しております先輩より熱烈なお手紙を頂戴致しましたが、こうなるのもアレなんでやめときます(大爆笑)。杜甫さんの気持ちも分からんでも無いが。。。。。


中国腐女子が過剰反応! 話題の教科書の挿絵 
http://rocketnews24.com/?p=105863

日本でも高校の漢文の授業で中国唐代の漢詩を勉強するが、もちろん本場中国でも必修。古典の教科書に必ず収録されている。最近、中国の中学校の教科書に書かれていた「偶然再会し、感激のあまり手を取り合ってしまったであろう2人の男性」の挿絵に、中国腐女子が過剰反応しているらしい。

「腐女子」とは広義では女子のオタクのこと、狭義ではとりわけボーイズラブをこよなく愛する乙女達のことだ。中国で「腐女子」と言えば専ら狭義の方である。

その中国腐女子達の間で話題になっているのは、詩仙・李白と並び、詩聖と称される唐代末きっての名詩人・杜甫(とほ)の詩『江南にて李亀年に逢う』の挿絵だ。花びら降る晩春に、男性二人がしかと手をとりあい、10本の指をからませ、お互いほほを染めて、感極まった表情で見詰め合っている。

これに対し中国腐女子達は「萌え死ぬ!」、「杜甫(とほ)というより杜腐(とふ)!」と大騒ぎである。中国語の「腐」は彼女らの間でボーイズラブ化している状態を指す。この状況に一部のネットユーザーは「教科書に載せて大丈夫なのか」と心配気味だ。

なお、これは杜甫が戦乱により都を追われ、たどり着いた地で、かつて都で権力者達に寵愛された歌手・李亀年に偶然再会、すっかり落ちぶれてしまった姿を悲しむと同時に、栄華を極めた過去に思いを馳せ、涙するという内容だ。決して恋の歌ではない。

確かに再会しただけにしては、ただならぬ気配を感じないわけでもないが、この挿絵一枚でいろいろ想像が膨らんでいくとは、中国腐女子達のレベルの高さに脱帽である。

参照元:今日新聞網(中国語)

被爆症状についての肥田医師の説明記事 2

http://janjan.voicejapan.org/government/0702/0702090742/2.php

前回に続き後半部分です。

8日に生活クラブ生協埼玉の講演会で、肥田舜太郎さんは低線量内部被曝の健康被害と、日本の核武装化の懸念などについて語った。
低線量の問題
 内部被曝は、原子力発電所が通常運転で環境に排出する程度の低線量でもおきます。というと、放射線には国際機関などの定めた安全基準があるだろう、と疑問を持たれるでしょう。その安全基準が問題なのです。放射線の安全基準は、米国政府などが都合よく定めた値に過ぎません。広島・長崎の原爆被害についてのABCC調査が元になっていますが、急性被害だけを調査したのです。

 低線量内部被曝の問題は、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故がおきるまで、着目されませんでした。チェルノブイリ事故の被災・被害は、ほとんどが内部被曝でおきていると言って過言ではない。外部被爆の被害はあまりなかったのです。

 米国では、内部被曝の被害は、核兵器関連だけでなく、スリーマイル島の原発事故でもおきました。スリーマイル事故では、スターングラス博士が州知事に何度も執拗に勧告した結果、4カ日後にようやく、一定距離内の妊婦に避難勧告が出されましたが、胎児らの被害は相次ぎました。そしてその後、スターングラス博士は、政府の批判によって白眼視されるのです。

ペトカウの発見
 重要なのはアブラハム・ペトカウ(カナダ)の1972年の発見です。ペトカウは放射線で、細胞膜が破壊できるのかを実験していました。牛の脳細胞で実験していましたが、高線量を瞬時に照射するのでは、なかなか細胞膜は破壊されないのです。

 ところが誤って、試料を低線量の溶液に落としたところ、細胞膜は低線量で破壊されました。微量の放射線、低線量なら細胞膜は容易に破壊できるのです。しかも、照射が長時間になればなるほど、細胞膜には穴があきやすくなります。

 ペトカウはノーベル賞級の大発見をしたのですが、米国政府や勤務先の圧力によって狂人あつかいされ、論文は印刷も出来なくなりました。しかし、ペトカウの説は、彼の知己を通じて、じわじわと拡がっていったのです。低線量・長時間、というのが内部被曝の健康被害として恐ろしいのです。

放射線の安全値の問題
 ABCC調査を元にして、放射線の安全基準は当初(1972年)、10分の1という良心的なものをBEIR(米国国立アカデミー・国立諮問委員会)は定めました。ところが改定で大幅に緩くなったのです。米国政府は、原子力発電にかかるコストを低減したかったのです。

 ところが基準を緩くした第2版以後、米国内の原発では小さな事故が頻発しました。そのことがあって、第3版は当初、13対4で、大幅な緩和案が否決されました。さほど緩まない第3版(1979年)は、米国政府が一度、全世界に配布しますが、そのあとでなんと回収、米国政府は4人の大幅緩和論者を中心に委員会を再構成、そこで大幅改定案を通してしまうのです(修正BEIR報告?・1980年)。

 以後、BEIR報告は、まったく信頼を失いますが、ほかに基準がないのです。

 日本で、よく原発でトラブルがおきた際に、翌日に施設長が「環境や人体への影響はない」と発表しますが、単に修正BEIR報告?と比べているだけです。発電所所長は、医学には素人です。8~30年の潜伏期間を無視してよく「人体への影響はない」などと、翌日に言えたものだと思います。

劣化ウラン弾
 米国は劣化ウラン弾の健康被害も隠蔽を続けています。原子力発電をするとウラン238というゴミが出ます。放射性物質なので破棄することは出来ません。

 原発はトイレのないマンションのように、ゴミはたまっていくばかりなのです。ウラン238は日本では、とりあえず300年、保管しようということになっています。それを何とかしようというのが核燃料サイクルです。

 ウラン238は使い道がなったくないので、米国政府は研究者に必死で研究させました。その成果として、機関砲の弾にすると便利だとわかったのです。戦車の分厚い鋼鈑を貫通し、しかも発熱してガス化します。破片も出ない。戦車の搭乗員は高熱で即死してしまいます。さらに放射性ガスも出るのです。

 しかしイラク兵、米兵は、劣化ウラン弾の危険を知らされていません。米兵は戦車の残骸の上で記念撮影したりするのです。ところが帰還して1~2年すると「ぶらぶら病」になります。湾岸戦争症候群です。このことも米国政府は隠蔽しています。ベトナム戦争の枯葉剤被害と同様に隠蔽するのです。

 さて、救われなかった湾岸戦争症候群の米兵は、被団協の診療所に来るようになりました。はじめは広島や長崎の公立病院に行くのですが、体よくあしらわれるのです。そして被団協の診療所に来て「放射線の影響だという診断書を書いてください」ということになります。

ハンフォードの健康被害
 米国では核施設のあったハンフォード周辺の健康被害も深刻です。川のマスも被曝しています。川の水、食べるマスを通じて、人も被曝します。下流にまでその影響は深刻です。

 ハンフォードの被害者も「ぶらぶら病」としか思えません。被害者らは果敢に反核運動を行ったのですが、イラク戦争以後に大弾圧を受けています。

乳ガンはなぜ増えたか
 アメリカの白人女性の乳ガンは、1950~89年に倍増しました。婦人運動の要請を受けて政府は原因を調査、大気汚染や化学物質のせいだと説明したのです。

 本来は企業系のいわゆる御用学者だったJ.M.グールドは、その説明に不審を抱き、たくさんのスタッフをやとって統計を分析しました。全米3053郡のガンの統計を調べてみると、乳ガン患者が増えている郡は1319だけです。

 1319の郡について、水や食べ物の汚染といったあらゆる諸要素との相関を、グールドは緻密に調べました。すると1319郡はすべて、100マイル(約160km)以内に、原子炉(軍用、発電用、研究用など)があったのです。

 1996年にその成果を、グールドは『内部の敵』という題の書籍として刊行しました。すると何と買占めにあって、この書は広まらなかったのです。隠蔽工作です。それでも少しずつ、グールドは成果を広めようとし、私のもとにも書は届きました。

 私は和訳を私家版でつくって、1000部だけ知己にわけました。林京子さんが上手に小説化してくれたので、ご関心ある方はそちらをお読みください。300ページの私家版製作は大変なので、『内部の敵』和訳そのものは、もうお分けしていません。

 私はいま、日本でも同じ相関がないのかどうか、確かめようとしています。日本では、原子炉が160km以内に無い県はないので、80kmで試行錯誤しています。作業の協力者を求めています。(筆者:肥田さんの作業の途中経過は『内部被曝の脅威』(ちくま新書)で、すこし触れられています)

原爆症認定訴訟について
 原爆症認定の訴訟では、大阪地方裁判所と広島地方裁判所が内部被曝の被害を認めてくれました。しかし、核の傘を容認する日本政府の首相は、内部被曝の問題を認めようとはしないでしょう。最高裁長官は首相が任命します。そのことを踏まえて、国は控訴控訴の連続で責めてきます。地裁の判断は覆すことができると思っているのです。
 
 内部被曝のメカニズムは、先ほど述べたように仮説はたっていて、あとは立証するだけです。ところが何十億もの研究費と、十何大学もの研究室の結集が必要でしょう。それが無理なので、当面は仮説と運動で頑張るしかないと覚悟しています。

 日本では原子力発電関連の労働者にも内部被曝の被害が明らかになってきています。私は原発事故やトラブルの応急措置をする「原発ジプシー」という人も診たことがあります。「ぶらぶら病」でした。被曝とひきかえに、多額のお金をもらって、危険な作業に従事した人です。

 ところがそういう人たちは、多額のお金とひきかえに、家族ぐるみで緘口令をしかれていますから、泣き寝入りなのです。被害がなかなか公になりません。

原発そのものへの疑問
 原子力発電所のゴミは、地下に保管されることになっていますが、放射線はやがて容器をこわし、地下水を汚染し、そして汚染は海水や表流水にも及ぶでしょう。

 たちの悪いことに原発は、稼動中に放射能を大気に出しています。政府は安全だと言っていますが、低線量内部被曝が問題であることをこれまで述べました。六ヶ所再処理工場は、原発1基1年分以上もの放射能を、1日で環境に出すといわれています。本格稼動したら、三陸沿岸の漁業に深刻な悪影響が出るでしょう。三陸沿岸の漁民は、いま、必死で反対しています。応援してください。

やがて日本は核武装か
 下北半島の大間に建設中の原子力発電は、核燃料サイクルを前提にしています。六ヶ所の核燃料再処理が前提です。しかしプルサーマル発電をしても、プルトニウムはどうしてもあまってしまうでしょう。

 最終的にプルトニウムは、核兵器をつくるしか使い道が無いように思います。私は、歯止めは憲法だと思っています。憲法が改悪され、日本が軍隊を持つようになったら、きっと核武装すると思います。(筆者(青木)注:現状では「米国が容認しないのでは」と見る向きも多いが、米印各協力の現状や、イスラエルの核武装を見ると、米国は将来的に日本の核武装を容認すると思われる)

 日本が本格的な軍隊を持つようになり、核武装するようになったら、軍産複合体は「止まらない」と私は思っています。歯止めは憲法しかありません。みなさんがもし、今日の私の話に共感してくれるのであれば、憲法を守り、いかす運動にも参画してください。日本人は時代や大勢に流されやすいと私は思うので、正直いって私は悲観的です。
 
次世代のために学んで欲しい
 核兵器も、実験も、探査も、研究も、原発も、放射線の被害は本質は同じです。被害者がガンで死ぬ頃には、その因果関係はわからないのです。わからなくなっているのです。

 ですから次世代のためにぜひ、核のことを、原子力の問題を学んでください。内部被曝の仮説と、日米政府の仮説を比較して、どちらが現状に即しているかをぜひ学んでください。それから、なぜ日本が戦争を始めたのかも、ぜひ学んでください。誰が、どこで、何のために、何をして、どういう行動の積み重ねで戦争が始まったのかを、ぜひ、今、次世代のために学んでください。

 日本人はこれまで、残念ながら次世代のために学んできたとは言いがたいのです。(了)

 (なお、生活クラブ生協埼玉では、肥田舜太郎さんの講演会に続いて、核燃料リサイクルなどの問題について、3月5日に鎌仲ひとみさんの講演会を行う予定です)

被爆症状についての肥田医師の説明記事 1


http://janjan.voicejapan.org/government/0702/0702090742/1.php

今回のコピペは、肥田先生の4年前の講演会についての記事があることを地震予知サイトから知りました。
ご興味のあります方は是非元記事から図も御覧下さい。

政治
かくされてきた被曝「ぶらぶら病」

青木智弘2007/02/11
8日に生活クラブ生協埼玉の講演会で、肥田舜太郎さんは低線量内部被曝の健康被害と、日本の核武装化の懸念などについて語った。



 本年夏より六ヶ所村施設の本格稼動が予定されている、核燃料サイクルに反対している 生活クラブ生協埼玉 では、2月8日の午後に 肥田舜太郎 氏を講師に招き「内部被曝について」講演会を行った。肥田舜太郎さん( 日本被団協 原爆被害者中央相談所・理事長/ 全日本民医連・ 顧問)は、仮説ながら徐々に明らかになってきている低線量内部被曝の健康被害問題などについて語った。当日の講演を、以下に報告する(要約・補足・文責:筆者(青木智弘))。

(写真は、クリックすると大きくなります)

1.放射性粒子が体内に入るまで

2.分子レベルでおきていると推定されていること

3.肥田舜太郎さん
すすまないヒバク研究
 90歳になって私は、いよいよ、ヒロシマの被爆を目の当たりにした最後の医療者になってしまいました。被爆/被曝についての医療はすすんでいません。61年間もずーっと臨床でヒバクシャを診てきた医療者は私ぐらいでしょう。公立の病院ですと、大学から派遣される医療者は3~4年で交代してしまい、ずーっとヒバクシャを診るわけではないのです。

 そんなこともあって医者は、ヒバクについて正しく知っているとは言いがたいのです。医療の教科書にヒバクの問題は載っていません。いまだにアメリカの資料隠しも続いています。だから、原子力や核の平和利用の危険についても、人々は認識が甘いのです。危険について知っている人も、政府や企業の圧力があって、なかなか表には出せないのです。

 放射線の健康被害は本来、いくつもの大学の研究室が集まって、何十人もの研究者がプロジェクトチームをつくり、何億もの研究費をかけて、体系的に解明すべき課題です。しかしそうはなっていないので、ほぼ手つかずの研究分野といってもよいでしょう。あまりに壮大なテーマなので、一生をかけて研究しようという人もなかなかいません。

ヒロシマの被爆
 アメリカが広島に原爆を投下した際、人々にあのような大被害をもたらすとは、当時の米国軍人の多くには、あまり予測できていなかったのではないかと私は思います。原爆使用の第一目的はとにかく大量破壊であって、普通の爆弾などなら何万発とかかる効果を瞬時に上げたかったのでしょう。ところが原爆を投下してみると、未曾有の健康被害が長らくつづくことになったのです。

 米軍の占領下では、被爆者の医療には壁がありました。被爆の被害について、米占領軍は知らせなかった。圧倒的なお金と人と力を使って米軍は調査はしましたが、その成果は医療にはいかされなかった。臨床医である私たちは、経験の蓄積から判断するしかなかったのです。

 月日が経つに連れて不思議なことがおきました。直接、被爆をしていない人たちに健康被害が出るようになったのです。どうも体の調子が悪い、という人も増えました。当時、患者が病院にいって「わからない」と診断してくれる医者はまだ良心的でした。ノイローゼとか、病気そのものを認めない医者が、圧倒的に多かったのです。それくらい「健康被害はない」というアメリカの宣伝力が大きかったのです。真実につながる道が、日本人には閉ざされていたのです。

放射線の健康被害
 放射線は人体に、急性被害と慢性被害をもたらします。後者について米国は、必ずしも予測していなかったと思います。急性被害は、瞬時に大量の放射線を浴びることでおきます。放射線は貫通してしまって、体内には残りません。急性被害をうけた人は、内部被曝もしていますが、数時間か数日で死亡してしまいます。やがて、直接は被爆していないのに、原爆後の広島に、家族や親戚を探しに来た人らが亡くなっていきました。

 次に顕著になった健康被害が「ぶらぶら病」なのです。はじめの頃はノイローゼとよく間違えられました。今では、原発事故後に「ぶらぶら病」被害が出ることもわかって、海外でも認知されるようになりました。

 「ぶらぶら病」は、被害者家族の命名です。広島に駐屯していた日本軍の兵士が終戦後に故郷に帰る。九死に一生を得た人が、30分も農作業できない、倦怠感で立っていられない、働けない、という状態になります。被爆後の街の瓦礫除去作業などに従事した人たちです。

 いまでも、ふつうの人の疲労や倦怠は、そのメカニズムはわかっていません。人や医者は、経験的に疲労を、そしてそれが休息によって回復することを知っているだけなのです。

 ですから当時、「ぶらぶら病」の人たちは病気とは見なされませんでした。仮病とかナマケ者とみなされてしまったのです。家族の人たちは「うちのお父さん、広島に行ったらナマケ者になって帰ってきてしまった」ということで、「ぶらぶら病」と言われたのです。

 私たち現場の医者は、はじめ病名をつけられませんでした。はじめの頃は抵抗して「原爆病」と言っていましたが、それを死亡診断書に書くと埋葬許可がおりないのです。死亡診断書に書ける死因は、国際的な標準があって、それに外れるものは認められないのです。やむをえず、一時はちがう名前をつけていました。

 私が診た顕著な症例は新潟の男性です。倦怠感には波があって、突然、急激に襲ってきます。健康被害者は、ヒバクしたことを中々あかしません。生命保険にも入れないし、就職や結婚にも差し支えます。診察の際に医者の前にきてようやく、ヒバクしたことを医師にだけ告げるのです。その男性もそうでした。

 ヒバクを告げられれば私は、どこで、いつ、どうヒバクしたのかを細かくききます。その男性は問診中に疲れて、やがて頬杖をつき、つぎに床にあぐらをかき、やがては床の上に横になってしまいました。すわってもいられないのです。そういうことで演技をする人はいません。そういう人を見ることで、ようやく私は、ヒバクシャがだるい、働けないということがわかるようになったのです。

ひろがる「ぶらぶら病」
 いまはアメリカやロシア、中国にも「ぶらぶら病」の患者さんがいます。

 米国には、核実験の被害者、原爆製造の従事者や工場の周辺住民などに24万人もの被害者がいます。しかし、政府や医療者は一貫して、その存在を無視してきました。旧ソ連、中国、原発のある国には「ぶらぶら病」の患者さんがいますが、どの国も医療者も、一貫して原爆症を隠しています。

 内部被曝は、外から見るだけではその健康被害がわかりません。働けないので生活困窮に陥ってしまいます。

 1950年ごろまで、若い被爆者は家族を失って、孤児も同然でした。被爆者手帳が支給されるようになるまで、被爆者には戸籍も、配給手帳もありませんでした。だから飢え死にした人もたくさんいます。1952年までは、自分で被爆者であることを知らない人も大勢いました。

 当時(1952年より以前)、14、5の少女が一人、福島の親類のところに引き取られました。しかし役場は配給手帳を支給してくれません。広島市出身者は占領軍の扱いになるというのです。しかし福島の進駐軍の事務所ではどうにもなりません。結局、配給手帳がないと、その子の食料は配給されませんから、親戚をたらいまわしにされ、やがて農家の後妻となります。ところがお嫁さんとしては、昼も夜も“おつとめ”はできないから離縁されてしまう。離縁されたら子がいた‥‥日本中のみんなが食うや食わずだった当時、そういう女性の行く末はきまっています。

 彼女のような悲惨な人生を送った人がたくさんいるのです。大人も子どもも、ヒバクしたばかりに、人権を蹂躙された一生を送ったのです。

外部被爆と内部被曝
 原爆の最初の犠牲者は、大やけどで亡くなっていきました。被爆3日目以後になると、謎の高熱や粘膜からの出血などによって、被爆者は亡くなっていきました。まぶたの裏からも出血する人もいますし、扁桃腺の細胞が真っ黒になって壊死する人もいました。

 症状が悪化すると髪の毛も抜けます。ふつうの脱毛とは違うのです。患者さんの毛が、死の1~2日前になると、すこし触れただけで、手についてゴソーっと抜けてしまうのです。髪がなくなるということが、女性にとっていかに悲しいことなのか、私は痛感しました。

 急性の被害をうけた人は、最後は下血か吐血で亡くなります。

 そういう慢性の症状が、やがては直接被爆をしていない人にも出るようになりました。はじめは伝染病を疑いました。でもちがいます。直接、高線量の被爆をした人たちは、内部被曝もしていたのですが、半年以内に亡くなってしまいました。

 やがて内部被曝だけをした人にも、症状があらわれるようになったのです。1975年に私は初めて渡米し、米国の医師を通じて核実験の死の灰をあびて症状が出た人を知って、私は内部被曝の健康被害について確信を持ったのです。

内部被曝のメカニズム
 今は「低線量の被爆に健康影響はない」「爆心2km以遠に健康被害はない」などという日本の厚生労働省などの主張も仮説にすぎません。原爆症認定の裁判で国側の証人は「脱毛は栄養失調でもおきる」などといいます。しかし、そうでしょうか。臨床医の私からすればそれはおかしいのです。軍医として、ニューギニアからの、すさまじい栄養失調の帰還兵を診たことがありましたが、脱毛はしていませんでした。

 内部被曝のメカニズムも今はまだ仮説です。しかし、そうでないと説明のつかない現象があまりに多いのです。臨床経験から私は、内部被曝のメカニズムの仮説に立脚せざるを得ません。そうでないと説明がつかないのです。

 原爆が炸裂した時、よく「きのこ雲」があらわれたと言われますが、その下にあったのは実は火柱です。(筆者:以下、写真1をクリックし、別ウインドウで拡大して見ながら、お読みいただけると幸いです)

 図の上の黒いところが、土砂といっしょに舞い上がった放射性物質です。一部が黒い雨となって、一部は埃となって、放射性降下物は落ちてきました。その微粒子を吸い込むなどして、内部被曝の健康被害がおきたのです。

 ウランの分子は、1ミリの60分の1です。ウラン分子を仁丹の大きさにまで拡大すると、おなじ拡大率で人体は富士山の9倍もの高さの身長になります。鼻の穴の大きさが2mなのです。そのような細かな世界でおきていることなので、なかなか証明がむずかしいのです。しかし、内部被曝のメカニズムの仮説を採らないと、説明できないことが多すぎるのです。

 ヒトは、ウランの微粒子を吸ったのか、吸っていないのかもわかりません。肺、あるいは胃に入って、やがては血管をつうじて運ばれ、最後は体のどこかの組織に定着します。この段階では、ウラン分子は細胞の壁(細胞膜)はこえることができず、細胞間の体液にとどまっています(筆者:以下、写真2をクリックし、別ウインドウで拡大して見ながら、お読みいただけると幸いです)。

 体液の中でウラン分子は、活性酸素とくっつきます。すると電離線を出し始めるのです。電離線が細胞膜に穴を開けてしまい、α線、β線、γ線が細胞の中に入れるようになります。活性酸素とくっついたウラン分子は、電荷が270万ミリボルトと、たいへんに大きいのです。

 ふだん、ヒトの細胞は、酸素が10とか、炭素が3とか、小さな電荷の分子が活動しています。そこへ圧倒的に大きい電荷のウラン分子が入ってくるので、細胞内は分子レベルで大混乱に陥ってしまいます。そして、分子レベルで混乱した細胞は変異細胞になってしまい、やがて変異細胞群を構成するのです。

 変異細胞群は、ガンになるだけではないのです。どのような形で発現するのかは、個体差があって、人によってちがいます。内部被曝の発症メカニズムなどは、分子レベルでおきていることなので、今の段階では、まだ仮説にすぎません。

 しかし私の医療経験では、そう解釈をせざるを得ないのです。内部被曝説でようやく、説明がつくのです。(次ページにつづく)

看護師さんたちのエピソード

小生も若かりし頃、無断で入院患者さんと病院の近くの夏祭りに出かけた事を思い出しました。。。普段しないような打ち解けた話をしてくれるものです。

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_nurse__20110519_2/

「忘れられない看護」のエピソードの数々 (J-CAST)

「忘れられない看護エピソード」作文の入選作品の表彰式が2011年5月14日、東京・神宮前の日本看護協会で行われた。脚本家の内館牧子さんや、主催の同協会関係の審査員らが1940作品を審査し、看護職部門10作品、一般部門10作品を選んだ。

最優秀賞は、一般部門が千葉県・関口裕司さんの「父との永遠の別れ~看護への感謝」、看護職部門が愛媛県・篠川照美さんの「最後まであきらめない! 」。

関口さんの父は脳を患い、病院に迷惑をかけたため転院したが、次の病院は汚れもいとわぬ献身的な看護だった。とりわけ死の直前、仕事時代に戻ったつもりで命令する父に看護師が部下の役を演じてくれた思い出が残っている。

篠川さんは数カ月も意識不明の男子大学生を担当した。母親が常に話しかけ、友人のテープを流す。母親から「この子はアイスクリームが好物」と聞いた篠川さんが舌に乗せると意識がないはずが笑う。それを機によくなり始め、退院できた。数年後、スーツ姿で社会人になったと挨拶に訪れてくれた。

一般部門の入選作は、子どもの急病でイライラして子どもに当たる母親に看護師が「お母さんにとって大切なことを書き出してみて」といわれて反省した話、若い看護師が昏睡状態の97歳の祖母に声をかけ、背中をさすり続けていたら、祖母が突然目を開けて礼をいい、1週間も延命した話など。また看護職部門は、死後の処置で洗髪したら患者さんの表情が笑顔になった不思議、交通事故で下半身を損傷、義足や人工膀胱になった女児の母親に頼まれ、病院の運動会で手を引いて走った思い出、などだ。看護職部門の多くは新人看護師時代のエピソードだった。

作品のパネルを並べた「忘れられない看護エピソード」展は6月29日まで日本看護協会 内で。入場無料。

(医療ジャーナリスト・田辺功)

[ 2011年5月19日16時10分 ]
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